60歳からの節約ライフ(プチ贅沢)

旅行、食べ歩き、日常の日記です。ひと工夫して節約し、その分でいろいろ楽しんでいきたい。ちょっぴり贅沢に。

【春の兆しを探しに】 鎌倉 「光則寺」 ~ ロウバイ

突然、関東南部にも雪が降ったと思ったら、一転して暖かい日が続いたり‥

 

今年は暖冬といわれていますが、季節は紛れもなく冬。

 

だけど、暦はもう2月。

 

春の兆しが、あちらこちらに見られるようになってきました。

 

天気のいい日を選んで、春の兆しを探しに、鎌倉「光則寺」に行ってきました。

 

本日のメニュー(目次)♪

 光則寺へ

光則寺は、江ノ電「長谷」駅から徒歩約5分のところにあります。

 

長谷駅に行くには、江ノ電藤沢駅から、あるいは鎌倉駅から行く方法がありますが、今回は藤沢駅からのルートをとりました。

 

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藤沢駅から長谷駅までは約30分です。

 

七里ヶ浜辺りから、江ノ島が見えます。

 

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天気がよくて、気持ちがいいです。

 

長谷駅に到着したら、鎌倉大仏の高徳院方面に向かい、長谷寺の交差点の少し先を左に曲がると、光則寺に続く道になります。

 

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しばらく行くと、山門に着きます。

 

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光則寺を散策

光則寺(こうそくじ)は、鎌倉幕府五代執権・北条時頼の側近であった宿屋光則(やどやみつのり)が、日蓮聖人の弟子・日朗上人を開祖として、自らの屋敷をお寺として1274年に建立したものです。

寺号は、「行時山光則寺」。

山号は、父の名、寺号は自身の名「光則」からとったと言われています。

 

 

1253年、日蓮は鎌倉に移り布教を開始し、1260年に、天災等の原因は幕府等が正法に違背しているためなどとする「立正安国論」を宿屋光則を通じて幕府に提出しました。

 

その後、1261年、幕府により伊豆に流罪となりました。

 

1271年、瀧の口の法難で、日蓮が佐渡に流された際、最愛の弟子・日朗らは、光則の館の裏山にある土楼に幽閉されました。

 

 

そして、時が経ち、宿屋光則は、日蓮聖人の教えに深く帰依することとなったとのことです。

 

 

山門をくぐり境内に入ると、目に入るのは、「日蓮聖人 立正安国論」の石碑です。

 

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その左手には、宮沢賢治の碑があります。

 

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雨ニモマケズ

風ニモマケズ

ご存じの詩です。

 

池があります。

 

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本堂になります。

 

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右側の木はカイドウで、4月には多くの人で賑わいます。

 

本堂には、「師孝第一」の額がかかっています。

 

お参りします。

 

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春の兆し

光則寺は、花のお寺としても有名です。

 

今回の訪問は、「蝋梅(ろうばい)」がお目当てです。

 

黄色い、まるで蝋細工のような可愛らしい花。

 

だけど、冬真っ最中の季節に、寒さに負けず、他の花々に先立って姿を見せてくれる芯の強さ。

 

「蠟梅」が、大好きです。

 

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山門の入り口にも咲いていました。

 

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ちょっと来るのが早かったせいか、蕾が多いです。

 

水仙も咲いていました。

 

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ツバキも咲いています。

 

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ミツマタはまだ早いですが、それでも咲いているものもありました。

 

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咲いている紅梅もありました。

 

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春の訪れには、もう少し時間がかかりますが、それでも「春の兆し」を感じることができた一刻でした。